(2017/10/28)
慶州駅前からタクシーでいっきに仏国寺へ。とりあえず着くとその人の多さに唖然。特に境内に近い駐車場付近はすこしでも近くに停めたい人たちの車でごった返している。
境内へはチケットカウンターでチケットを購入してから中に入ることに。とにかく人が多い。
チケットカウンター近くの仏国寺(佛国寺)の看板がかかるこの門は正門となる「一柱門」。
一柱門をくぐって先に進むと左手に蓮池があり、そこを更に先に進むと次に大きい門がある。仏法を保護する四天王が安置されている「天王門」だ。
天王門をくぐってさらに進むとおみやげ物屋等がある広い広場に出る。実は天王門からここまでに、途中右手に行けば仏国寺博物館があったのだが、立ち寄らず進んでしまった。
白雲橋、青雲橋をのぼって紫霞門をくぐることはできない。右手の迂回路を通って境内に向かう。
上の境内は大雄殿といい、釈迦如来の彼岸世界を表しているということらしい。大雄殿の前にある大きな2つの塔は多宝塔(タボタプ)と釈迦塔(ソッカタプ)という。
紫霞門の左手にある楼閣には木魚、右手にある泛影楼には法鼓が置かれている。なぜか木魚は大人気。
大雄殿の本尊は釈迦牟尼像で、その両脇には文殊菩薩、普賢菩薩の像が並んでいる。
大雄殿の裏手には無説殿がある。寺誌である仏国寺古今歴代諸賢継創記によればこの無説殿は仏国寺の中でももっとも早く作られた建物で、華厳経の講義を行い勉学につとめる学校のような場所だったとのことだ。
無説殿の後ろにある急な階段をのぼっていくと観音殿がある。
観音殿の横、塀で囲まれたところに毘盧殿がある。毘盧殿の中には本尊として国宝に指定されている金銅毘盧遮那仏座像(8世紀中ごろのもの)が安置されている。毘盧遮那仏は華厳経の教主で太陽の象徴とされているらしい。殿の創建は751年だが現在の形のものは1973年のものらしい。
舎利塔。高さが2.06mとのこと。1905年に日本に渡ったが1933年には韓国に返還されているとこのこと。この時は日本統治時代だ。廃寺だったのを日本統治時代に再建、修復がなされている。この舎利塔もそうしたなかの一つなのだろう。色々と朝鮮半島に対して日本はしたけど、こういう点もちゃんと評価して欲しいなと思うね。
羅漢殿。釈迦牟尼とその16人の弟子を奉ったところ。その高い徳をもった弟子を羅漢というらしい。
蓮華橋・七宝橋を通って安養門を抜けるとそこは極楽浄土の領域ということらしい。現在は蓮華橋・七宝橋が通行禁止になっているため、大雄殿側から横に抜け、極楽殿に入る。極楽殿は阿弥陀仏像(8世紀後期)が安置されている。8世紀中期の仏国寺創建時に建立され、文禄・慶長の役で焼失してしまい石壇部以外は後年新しく作りなおされた。
これで一通り仏国寺の中は見学できた。帰りの途中にはおみやげ物屋さんがまたあった。
帰りの門(不二門、こちらがわからも入ることができる)から仏国寺を後にする。
仏国寺の駐車場近くにはカフェや食事店、ゲストハウスなどが多くあり、この周辺で一日を過ごせるようになっているらしい。帰りはバスを利用したが、ここから乗るのであれば慶州駅近くでの大混雑のバス状態ではないので問題なく帰れそう。バスは10、11、700番のいずれかなら慶州駅まで戻ることができる。
仏国寺