第五回 長宗我部家土佐国の合戦「南東砦1の戦い」

2期12月15日

土佐国の南東1砦周辺にて繰り広げられた攻防の一部をここに記しておこう。
そもそもの発端は敵襲なりやまない昼過ぎに発生した殿の本城への敵襲から始まったともいえよう。それが始まりの狼煙となり、一連の戦闘に流れてゆく。

12月15日13時32分

殿の本城へ敵襲あり。距離は7マス先から。重臣の見立てでは合流の可能性は捨てきれないものの、おそらく偵察(ノック)。そこで全部隊配備が可能な限界時間ぎりぎりまで本城への部隊配備指令を待つ事にした。
この攻撃は陽動であり、本城への着弾に合わせて同盟員への城横に設置した陣への攻撃が行われ、陣は陥落。
 陣への攻撃
 城への陽動
だが上記と同じ動きが実はこの数分前にもあったため、念のためと思い後衛の陣を作成しておいた。攻撃を行った者の同盟とは別の者の陣が近くにあったため、こちらを攻撃し、陣化して陥落に備えておいたのだ。
その後衛の陣から、同盟員の本城前の敵陣に高速部隊を出陣させ、これを奪取。同時に背後にある他の同盟の陣も予備として奪取しておいた。
 同盟員城前の陣を奪取
この段階で同盟員の城前に防衛用の陣ができた。
殿の本城へのノックに被せて目的の陣を奪おうという考えは判るが、一度やればその目的は一目瞭然。それを二回も繰り返せば対処の方法も考えつくだろう。
しかし、、、
この後の怒濤の敵襲に結びつくとはこの時は思ってもみなかった。

(赤の侵攻が初回の敵襲、これにより陣が陥落。但しそれを事前に察知していたので陥落前に斜め横に予備陣を作成してそこから前後に敵陣を奪取した。青の進行方向が当方の動きになる。)

12月15日13時39分

作成した予備の陣に敵襲有り。先ほどの陽動(ノック)被せを行った者と同じ同盟員からのもの。
これにより敵同盟の目的が、殿の同盟員の本城周りの加勢可能な陣の排除であることが明確になった。斜めからの陣なので合流の可能性はほぼ無し。防備を固める。
 剣豪による攻撃を受ける
先ほどの攻撃からわずか数分でこの攻撃が来るということは、次の敵襲も早いだろうということが予想出来る。

(赤のラインが敵の侵攻方向。この攻撃は凌ぐ。)

12月15日13時51分

先ほどの陣に再度敵襲あり。この時他の陣への敵襲があったためそれに対応しており、結果として先ほどは守った陣を陥落させてしまった

(予想を違い、時間があいたこともあるが、他の場所での敵襲も激しく対応できず。)

12月15日13時59分〜13時24分

ここから複数の敵襲あり。

報告書頁の違いがあるのでここには載っていないが、記載のもの以外にも複数件の敵襲があった。予備として奪取した領地への攻撃もあるので、実数は更に多かったろう。同着の攻撃では無いにしても手数が多いと合流の危険もあり守りきれるものではない。結果としてこの攻撃で同盟員周りのほぼ全ての陣と領地を失ってしまった。
ただ、これで終わりではない、、

12月15日 14時35分

敵襲の中に、同時4部隊を動かしている者を発見した。恐らく同時攻撃に紛れさせ当方の陣と領地を全て奪おうとの魂胆だったのだろうが、これは完全な失敗である。
四部隊動かせば、防衛はがら空き状態になり、短い時間ではあるが、その間は相手の領地、陣を望むままに落せるからである。
この段階で残っていた陣からすぐさま2部隊を出陣させる。
同盟員の城前の奪われた陣が、その城主の領地になっていたので、一部隊はそこを再度奪取することに成功した。
結果として多発攻撃が起きる前の前の状態に戻ったということになる。

(赤の侵攻方向は同着ではないものの、手数が多く同盟員城近くの陣、領地が一掃されてしまう。他の場所への敵襲もあったため対応しきれない。その中で同時四部隊を出した敵がおり、その城主の領地が斜めに2カ所あったので、それを落し、結果として同盟員城の前に陣を貼り直す事に成功した。)

その後の推移

これで同盟員城前に貼り直せたのだが、結果としてこの後殿が不在の時にこの陣は陥落してしまった。最終的な戦果としては当方の負けとなりはしたが、色々と学ぶところの多い戦いではあったと思っておる。

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