第五回 石田家近江国の合戦 準備期間

2期12月7日

大殿より、単独にて石田家領内に侵攻せよとのお達し。
石田三成ごときは秀吉のしょせんは茶汲み儒子、もしやこれはいずれ豊臣家領内に侵攻するための布石なのであろうか。
と、殿は勘ぐられておられた。
だとすれば今後、燎原の火のごとく戦矛の響きがあちこちに鳴り渡ることになるやもしれぬ。
領民達にとってはちと気の毒な時代じゃ。

しかし石田家とは先日、連合にて上杉家領内に攻めあがったばかり。
戦国の世のならいとはいえ、昨日の今日では人間不信にもなるものよ。
石田家中の城主連とは共同作戦を立てて動いていた訳ではないので、情も何も無いが、この無情ぶりには一抹の恐ろしさを感じもするのう。

殿の斥候は石田家領内を十字になぞる様に進んでおる。
攻撃時の進軍方法は常に同じで、敵大殿を十字の軸として東西南北に中継陣を伸ばすというものじゃ。
強行軍の場合は、陣と陣の間隔をだいたい10マスくらいあけながら進む。これは、万が一途中の陣が敵に落とされても半刻(30分)ほどの時間で戦線を再構築できるからである。
十字形を維持しながら進む理由に、ペタ陣中継という手法で陣貼りを続けた場合、戦線の形がいびつになり戦場における自身の陣形を大局から見づらくなるということもある。
また、ペタ陣は合戦開始直後に敵襲を同時刻にて受けやすい。ペタ陣は敵拠点から1マスにあたるのが普通だから、開始同時に敵が軍を出せば、同着になる可能性が高いのは当然。それを避ける目的もあって中継陣を多く設置してゆく。
殿は戦功1位を何度か取られているが、合戦開始直後の発表から常に上位を維持し続ける事より、徐々に上位に上がって行く事が多いのはその為であろう。

しかし此度の戦い、たとえ豊臣の隷下とはいえ石田家は我が壁家よりも人口が多い。
物量の差が厳然としてある以上、厳しい戦いが繰り広げられる事は予想されるものよ。

砦周り

準備段階にて、殿の砦(南東1)周辺の色調は赤に傾いているように見える。
やはり人口の差というのはいかんともしがたい、、、

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