第四回 徳川家三河国の合戦

2期1月13,14日

かくして合戦が始まった。
開始直後は戦功順位6~7位くらいの出発であったが、時間を重ねる毎に戦功を上乗せしてゆき、最終的には1位を取らせて頂いた。

しかし今回は随分戦功を稼がせて貰ったものですな。一回の合戦にて10万を超えたのは初めてではありませぬかな?

殿

「うむ、確か初めてだったと思うわ。
しかし、今回は幾つかの方にブログ見てますと言われたぞ?どういうことじゃ。
もしや石舟斎よ、日記を書いておると言っておったが、おぬしのその日記帳が流出しておるのではないか!? 」

おお、それは恥ずかしい、って。
いや、殿、流出しておるのではなく、私の日記は公開しておるのです。
いわば当家の広報活動みたいなものですな。
お心をもっと広く持っていただかないと。
我が石舟記をお読み頂いておる方には私から感謝の意をお伝えしておきまする。

今回の合戦では当家が属する同盟は北西に出城しておるが、北西、北東方面は初日の早い段階にてほとんど制圧されたように見受けられる。特に北西の若い砦番号の周辺は敵城で残っているのが無いくらいになっておった。
その為2日目に入ってから殿は南東方面にも陣を延ばしてみたのだが、するとこちらにはまだかなりの敵勢力が残っておった。
やはり敵上位同盟があるからであろうか。
残念ながら南東方面への陣張りは時間的にも遅い時刻となり、十分な戦果を上げることができなかった。
東西南北全ての方向に陣を張るのは相当な労力を要するが、更に戦功を延ばしたいのであれば、更なる陣張りの労力が必要となるということか。

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